未来人 落合陽一先生の講演をきいて

これからの社会はどうなっていくのか。AIと人間、そして人間の教育はどうかわっていくのか。そんなことに興味があったので、「現代の魔術師」落合陽一先生の講演を聴きに行った。まるで未来人の話をきいているような、内容の濃い時間でした。

 

 

バリアフリーな世の中へ

  私は人の名前を覚えるのがとても苦手。覚える気はあるのだが、その人と名前のイメージ(私なりの)が違うと途端におぼえられなくなる。「ぜんぜんイメージと違う名前の人」なんていうフレーズがインプットされてしまうと、その人の前にいくとそのフレーズしか思い浮かばないのだ。

 

  そんなことも、メガネに会った人の名前が浮き出るようになれば、簡単に解消していく。

 

  私たちが障害だと思っていたこと、例えば足が動かないとか目が見えにくいとか体力がないなどの肉体的な障害や、集中力がないとか文字が曲がって見えるなどの脳の機能的な障害は、AIと機械によって補われていく。

もう年だから、体が不自由だから、なんていうことが障害ではなくなってくるということだ。

  また、どこで生まれたか、どんな言語をしゃべるのか、などという地理的な問題もなくなっていくだろう。

 

  助かるな~~。

 

  でもそんなワクワクすることばかりではないだろう。

 

  障害がなくなるということは、今まで私が持っていた既得権益がなくなる、という事でもある。日本に生まれたこと、肉体的な障害がないこと、まだ仕事をするのに年をとりすぎてはいないということ・・・。そんなアドバンテージなしに全人類の中でどのくらいの能力があるのか、が測られるということだ。

  それはとても残酷なことでもあると思うのだ。言い逃れのできない社会というのは・・・。

 

以下はお話の忘備録です。もう少しまとめるつもりです。

 

その社会にどう適応していくのか

  ややこしい計算、知識をたくわえておく事、肉体的な労働。そんなものがAIと機械にまかせられる社会になれば、人類は知的な活動に専念するようになる。

  また、これまでどう問題をとくのか、に重点がおかれていたが、これからはend pointのみで問題をといていく。指針を立てる前に動いて、結果をフィードバックさせすばやくそれを生かす、ということが大切になってくる。

  ということは、時間は有限なのだから、自分の才能がなにかを把握し、それに特化させていかなければならない。成長スピードを保つために、どうでもよい所はなるべく省力化していくことが必要なのだ。

 

教育とはどうなっていくのか

   教育とは、プログラミングである。

   人類の知的活動に貢献できるよう、良い方向に伸ばしていくことがたいせつである。

  これからはモチベーションによる格差がでてくるであろう。このモチベーションを伸ばしていくことに、教育は大きな役割を果たす。