ただただかっこいい 森広隆

「うますぎて売れない」とか「良すぎて売れない」とか良くわかりません。

わかりたくないもん。

とがった音楽とか、うまいけど心がないとかならわかるけど。

 

森広隆さんがど~んといかない理由もよくわかりません。

理由がみつからないもん。

たぶん皆わからないんだと思う。

 

ルックスが悪いとか、性格悪そうとか、歌下手とか、なんかあれば納得できるけど、なんにも欠点がない。

 

ただただかっこいい。

 

かっこよすぎてうれない、なんて納得できないぞ。

 

 


森広隆-pebama mori hirotaka "pebama"

 

 


森広隆‐ゼロ地点

 

 

 

 

読書録  「夏への扉」

「昔はよかった」という言い方は平安の時代からあったというけれど、何歳ぐらいから言うようになるのだろう。

 

私が初めて同年代から聞いたのは、中学3年だったかな。

新1年生の指導をしている時に、「昔はこうだったんだよ。それに比べて最近は・・」って同期が言っているの聞いて、「ほほぅ・・」と思った覚えがある。

 

それまで「昔は・・・」というのは、先生や親の言うことだった。こどもには語るべき過去というものはあまりないからね。同期が妙に大人に見えた。

 

今、私には、未来と過去もある。「昔は・・・」と語れなくはないが、「未来は・・・」と語ることの方が多い。

だって昔のことは箱にしまっちゃったもん。そのまま捨てちゃいたい箱も、愛おしくて涙ぐむ箱もある。でも1人のときにそっと取り出すだけ。

 

未来は、良いだけではなく、悪いところもたくさんあるのだろうね。

今と同じように。過去とおなじように。

そんな事はわかった上で、

それでも未来を思うとワクワクするのは、たぶんこの本のおかげ。

 

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

未来へ進んでいく。

 

そのことの楽しさをこの本で読んだときの、あの晴れやかな空の下に出たような、あの気持ちは、色あせることはない。

 

でもね、前に進む人ばかりだと後始末が大変だから、前に進む人・現在のことをきちっとする人、過去を振り返る人、いろいろいて、社会は成り立ってるんだと思うよ。

 

 

 

山田ズーニーさんのワークショップ第2回目に参加して

伝えたいことが伝えられない。

言葉がツルツルとすべってしまって、相手に届かない。

 

そんなことが多かった。

 

相手に伝わっていないと思えば思うほど、言葉数も多くなって、多くなっても「伝わらない」という事実は、ちっとも変わらない。

私の場合は多くなるほうだけれど、少なくなって黙ってしまう人も多いだろう。

 

では、どうすれば相手に通じる言葉を見つけられるのだろう。

 

相手の事を理解し、相手との関係がどう変わりたいのか、どうしていきたいのか、それを良い問いを繰り返すことで見つけていきました。

 

相手に響く言葉は、そんなに長くなくてもいい。

長く深く考えられた大切な言葉たちは、想いを相手に届ける力を持っている。

 

そんなステキなワークショップでした。

本当にステキだったのよ。

言葉を考えることで、相手への怒り、いらだち、励まし、疑問などが、相手への理解につながっていく。

相手への理解があってこそ、相手へ伝わる言葉になっていく。

参加者全員にその奇跡が起こるのを目の当たりにして、本当に素敵な時間の過ごしました。

 

 

 

 

 

映画 神様メール

 あなたが思う神様とはどんなものだろうか。

 

日本には八百万の神がいるから、きつねだったり、なくなった方だったり、石ころだったりするわけだが、ほとんどの方は、そこに宿っている大元の神様をイメージするのではないだろうか。形は思い浮かばないが、全てを覆うおおきな意思のようなもの。

 

皆様ご存知の通り、キリスト教でイエスキリストは預言者である。

予言者ではなく預言者。

つまり神の子ではあるが、神様自体ではなく、神様のお言葉を預かり人間に伝えてくれる方。

 

ではその神様はどんないでたちなのだろうか。

 

この映画では、おっさん。ベルギーに住むおっさんなのである。

ビールを飲み、だらしなくTVみて、家族にはモラハラ、DV。

妙な法則を作って人間を困らせて楽しんでいる。

PCがないと何もできないおっさんなのである。

 

「大丈夫?厳格な宗教家怒らない?」というレベル。

 

ちなみに長男はJC。

主人公はお兄さんの助けも借りて、横暴なお父さんから逃げ出す。

全人類に、それぞれの余命をしらせるメールを送ってから。

そして使徒を選び、自分の言葉を伝えさせる聖書ではなく、使徒の物語を伝える「新・新約聖書」作ることを決めるのである。

 

 

それぞれの使徒の物語が美しい。

愛に恵まれず、迷走している使徒たちが、主人公の少女(神様の子)と出会うことによって、自分自身を、そして愛を見つけていく。

 

そしてラストシーンの美しいこと!

 

対してPCの機能が使えなくなって、娘を追いかけてくる神様は、もう力を失っているから、社会に出てきて踏んだりけったりの目にあう。

ホームアローン」の泥棒のような・・・。

 

笑いに笑って、でも、人生に大切なものってなんだろう、人生ってすてきにできるんじゃないか、って思える、とてもステキな映画でした。

あなたの考えていることは、本当にあなたが考えているのか

自分で考えていることは、誰かの影響があったとしても、自分で考えているのだから、自分のものである。

 

そうずっと思っていた。

 

でもある日、とんでもない災難が、突然私をおそった。

多分将来にとても影響があって、これまで立てていたプランとか全部なくなってしまう。

そんな時私の考えはどうなったか。

 

「そんな事、起きてない」

と思おうとしたのである。

もう1人の冷静な自分が、

「いやいや、現実に起きてるから」

と言っても、

「そんな事ありえないから!」

と認めない方向に動いたのである。

自分の考えでありながら、そうでない。こんなに分裂した考えを自分が持つなんて。

自分の考えってなんだろう。その時そう思った。

 

震災の時もそうだった。

周りでとりあえず西に避難。という人も多く、そんな連絡が入るたびに、どうしようかと迷った。

諸事情で留まる、と決意した途端不思議なことに、何も起こらない、と確信しはじめたのだ。さっきまであんなに迷っていたのに・・・。

友人から電話があり、避難しない、とつげると、

避難しないもの同士の連帯感は、それは心地の良いものだった。

頭では、「逃げるならそれはそれで、その人の状況次第」

と思っているのに。

 

それ以来、自分の考えている事が、本当に自分の考えていることなのか、自信がない。

吟遊詩人 関取花

冷静な観察者であり、燃えたぎる情熱の持ち主であり、めっぽう歌がうまい。

 

あの小さな体から、魂をブルブルゆさぶるような声を出す。もう、一度生で聴いたら、すっかりとりこになること間違いなし。

 

それにあの笑顔!まっすぐに笑いかけてくれるあの笑顔が、たまらなくステキなひとなのだ。

 

歌詞もいいよね。

目の前に情景がうつるように、物語をかたるように、歌い上げていく。

 

「もてたい、やせたい、恋をしてみたい」

あの年代に誰もが思っていた3つの願いをこんなにストレートに言った歌詞があっただろうか。そのあとの親との会話、そこから考え出すこと、もうそのまま物語なのだ。

 

関取花ちゃんの歌詞の魅力は、ストレートな言葉を選びながらも、その物語の複雑さにある。

1曲の間に、一つの映画のような物語が詰め込まれている。

それで歌がうまいときているんだもの。たまらないよね。

 

ブログもおもしろいんだけど、文筆業よりもやっぱり歌いたいんだよね。

「売れろ~!」

ささやかながら私も祈っておくよ。

 

皆様、聴きに行くなら、間近で観られる今のうちだよ。

 


関取花 むすめ

 

 

 

 

 

私の癒し

音楽とかおいしい食べ物とか友達とか本とか・・・。数々私の癒しはあるのだが、なんといっても毎日私に幸福感をあたえてくれるものは

 

トイレ

 

トイレなのですよ。

特にうちのトイレ。

 

まずね、たくさんの女性の悩みであろう例のあの症状に、私も悩まされてきたのですよ。でもダイエットをやめてからスッキリ!

毎朝スッキリするたびに、歩いてトイレに行けて、ちゃんとスッキリできるということ、本当にありがたい。

 

そして、うちのトイレは居心地が良い。

前に住んでいた家のトイレは異様に狭かった。

立ち上がろうとすると前の壁に頭をゴツッ!

足も伸ばせない。

横からも迫り来る壁。

時々ひらかなくなるドア。

まさに戦い。

生きたまま出られるのか!

そんなサバイバルの日々をへて・・・。

 

今のトイレは広すぎず狭すぎず、居心地の良い空間。

万が一鍵かけ忘れてあけられちゃったとしても見えない位置の便座。

そしてなにより水洗ですよ。

立ち上がるだけでざざざーっと流してくれるのですよ。

そんなに贅沢なことがあるでしょうか。

 

辛いことがある日も、トイレにいくたびに、

「しあわせだなぁ・・・」

と思うのです。

 

無人島に一つだけ持っていけるとしたら・・」

というお題があったら、

「水洗トイレ」だね。

 

          今週のお題「私の癒やし」